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紙メディアの存在価値と生き残り方

主要四媒体の時代
かつて日本には『主要四媒体』という言葉があった。

今でもその言葉自体が無くなったわけではなく、実際に使われるシーンがないわけではないけれど、過去のメディア環境を表現する場合に使われることが大半(のはず)で、実際にそれを本気で使っている人がいたら、よっぽど現実が見えていない人か、或いは古い利権にすがり環境変化を受け入れられない人のどちらかだろう。

主要四媒体とは、すなわち、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌のこと。

2000年代の初めくらいまでは、この四媒体でほぼ情報ソースをカバーし切ることができていたので、ある情報を広く世に流布させる目的がある場合、広告代理店を中心にこの四媒体を軸にメディア施策が検討されていたのだった。

その主要四媒体による情報ソース包囲網の構造が、ネットメディアの登場で崩れていく。

ネットと言ってもいわゆるナローバンドの時代、いちいちネット回線に接続するのにダイヤルアップをして従量制でネット接続料が発生していたような時代は、まだそれほど大きなインパクトはなかった。

ところが、ブロードバンド、つまり月額定額で繋ぎたい放題、しかもADSLや光といった高速大容量が当たり前の時代になって、主要四媒体構造の完全崩壊が始まった。

メディアのデジタル化の波
もともと、四媒体の中でもサブっぽい位置付けにあったラジオは、結果としてあまり大きなインパクトを受けなかった印象だ。と言うより、そもそも四媒体の中に入るほどのポテンシャルはなかったと言うのが正確なところ。

メディア王のテレビと言えば、我が国では高齢者を中心にテレビの力は根強く、いずれ無くなると言われて久しいが未だにマスメディアの頂点に君臨している。

とはいえ、これもジェネレーションの交代とともに変化することは必至ではある。未だに地上波のような前近代的メディアがなんとか頑張れているのは、この国やや独特な生活感覚によるものだろう。

Alexas_Fotos / Pixabay

何れにしても、電波組に対する印刷メディアの落ち込みは極めて顕著だ。

雑誌や新聞はネットメディアに対して、なかなか優位性を主張できず、それぞれ発行部数を落とし、雑誌は廃刊に追い込まれるものも少なくない。

では紙媒体は、かつてのカセットテープやMDのように、今後は存在価値もなくなり完全に世の中から消滅してしまうのだろうか?

答えは、否のはずだ。

なぜなら、紙でなければ表現できないフィールドが確実に存在しているわけで、発行部数は減ることがあっても、完全消滅することは絶対にないと考える。

逆に言えば、紙である必要がないコンテンツについては確実に減っていき、実質的に消滅方向へ進むだろう。

典型的には新聞。

かつての横綱だった新聞の宿命
個人的な見解としては、新聞は完全に消滅軌道に乗っていると思う。
なぜなら、新聞とは読んで字のごとく、「新しく聞く」ニュースメディアとしての意味が基本で、そこには

  • 最新情報である事
  • 正確であること
  • 手に入れやすい事

が要件になっている。

例えば、ネットニュースと新聞を比べるとどうだろう?

まず、新聞が手元に届くプロセスを考えてみると、

  1. 記事起こし
  2. 編集
  3. 印刷
  4. 集配
  5. 配達

というステップがあり、事実が起きてから手元に届くまでに必然的に半日〜1日近くの時間が過ぎる構造になっている。

半日前の情報は、ネットニュースの常識からすればすでに古い情報であり、しかも事件などの場合は正確性を欠いている場合も多くなってしまう。

そして、それらのコンテンツを伝えるビークル(乗り物)として、紙である必要はほとんどない。

強いて言えば、電気を使わないことと折りたためることあるが、どっちにしても持ち歩いてるスマホが充電さえされていれば、ほぼ紙であることに優位性はない。

しかも、嵩張る。

従って、新聞はほとんど消えゆく運命と読んでいる。

新聞の生命線は、コンテンツとしてはほぼ存在価値が消滅しつつあり、もはやそれが刷られている新聞紙の方が価値があるかもしれない。

こぼした灯油のふき取りに。

子供のホーム散髪時に。

ゴキブリ退治。

あのサイズ、吸水性、薄さ。新聞紙の利便性はかなり価値が高い。

つまり、新聞の生きる道は新聞紙がメインで、その紙に一応おまけ的に情報が刷り込まれてる、という考え方の方がむしろ現代的には馴染むかもしれない。

「あの人は今日の朝刊に取り上げられていてもはや有名人だねー」
などというセリフは、過去の価値を引きずった化石的フレーズになるだろう。

「落合陽一のブログで取り上げらてたぜ」
の方が、
「読売の朝刊に載ったわよー」
よりも1,000倍価値が有る時代に、なって行く。というより既にそれに切り代わっており、加速度的にパラダイムシフトが進んでいると言って良い。

雑誌の立ち位置
さて、それに対して雑誌はどうだろう?

ブロードバンドが普及し始めた頃は、雑誌など最初に消えるメディアの最右翼だと思っていた。

実際に、ただテキトーに撮影して、テキトーにバイトに記事を書かせて、テキトーに編集をし(たことにし)て、印刷、製本しているだけの雑誌は、とっとと昭和のなごり雪の中に粉と消えた。

では、全ての雑誌がデジタルコンテンツに置き換わるかといえばむしろ逆で、その価値が再認識さている部分さえある。
つまり、紙の印刷物には、無形のデジタルコンテンツには置き換えられない「紙ならではの価値」があるということだ。

そう、雑誌=紙媒体が無くなることはない。

シンプルに考えれば電子書籍VS紙の雑誌という構図。その中でそれぞれの特徴を挙げてみよう。

<電子書籍の利点>

  • 店に行く必要がない
  • 欲しいと思った時にすぐ手に入る
  • 本棚が要らない=スペースを考慮せずいくらでも買える
  • マルチデバイス
  • プロダクトの経年変化がない

<電子書籍の難点>

  • バッテリーがないと読めない
  • 目が疲れる
  • 落とすと壊れる
  • 水没するリスク
  • 手書きメモが入れられない
  • プロダクトの所有感がない
  • サイズがデバイスの大きさに限定されてしまう
  • 匂いがしない

完全に個人的見解ではあるけれど、こうやって並べてみると電子書籍も項目自体は難点も多い。
中でも、サイズが限定されてしまう部分とプロダクトの所有感の欠如は人によっては大きい要素と思われる。

例えば、装丁の凝った大判の写真集などを考えてみよう。

このような商品の場合は、コンテンツ自体よりも所有感の方が遥かに大きい場合もあるだろう。
特にアーティストものや文化的なフィールドのもので、印刷物のページを繰りながら写真のテイストを味わう楽しみは、電子デバイスの画面では絶対に再現が不可能な体験だ。

端的に言えば、有形と無形の違いという事になるが、電子書籍の登場のおかげ、有形ならでは価値が再認識、再定義されていると言えるのかもしれない。

デジタルコンテンツと紙媒体の役割
結局は、住み分けという事になるのだと思われる。

デジタルコンテンツに置き換えてより利便性が高くなるタイプのもの。

対して、質感やサイズなど、プロダクトであることが必要であるもの。

是非、出版社の方々にはそれぞれの特徴がよりよく出る形で商品プロデュースを続けていただきたいところだ。

wilhei / Pixabay

文字だけのコンテンツに関してはデジタルに一本化している方も増えてきていると思われるけど、個人的には文庫や新書をポケットに入れて持ち歩くのも好きだ。
そして、読書の進捗を紙の厚みで感じるのも好き。

世代によって電子派は増えると思われるが、工夫を凝らしたいろいろなタイプの製品がリリースされることに期待したい。